本書は、1895-1914年における北海道と植民地台湾・樺太との行財政関係を軸として、北海道の属領統治をめぐる実態と論理の解明を目指したものである。
1890年に大日本帝国憲法体制が整った際に、北海道は、拓植の状況がまだ未熟な段階にあるとして政治的諸権利が除外された属領となった。これに対して、道民は1890年代後期以降に北海道が脱属領化されつつあった後も、拓殖促進のために植民地同様の特例が必要だと訴え続けた。
日清戦後、彼らは台湾総督府同様の「北海道総督府」の設置を主張し、中央の予算編成における「重南(台湾)・軽北(北海道)」の現象を批判していたが、日露戦後はさらに北海道庁・樺太庁の合併と特別会計の実施により、一般会計下で難航していた拓殖計画の財源確保問題を解決すべきだと説いていた。
しかし、最終的にはいずれも実行に移されぬままであった。これは、帝国日本が当初から国民国家の枠組みの中で北海道を統合しようとしていたため、当憲法体制における北海道の制度的格差の構造が、植民地の経営に伴い強化されるどころか、むしろ解消されていったことを意味する。