福島事故後,台灣為何與日本相反、走向「非核家園」的道路?
311福島核事故、迫使台日兩國的能源政策面臨重新檢討。事故後,日本政府將「核能定位為重要的基載電源」、並推動核電再運轉。但在台灣、因福島核事故激勵了民間的反核運動、遂使2016年5月就任的民進党蔡英文総統、宣佈決定2025年達成「非核家園」的政策。
本叢書收錄福島事故前後、台日兩國能源政策轉變過程有關的論文和台日核能交流的實績以及論述兩國今後核能合作方向的文章共16篇。其中主要論文為2014年本中心在台北舉辦「第31回中日工程技術研討会」的「能源政策人文産業組」中発表的論文,及2015年日本《Energy Review誌「台日核能安全合作」專集》中刊載的文章。
日本與台灣同為缺乏能資源的國家,地緣政治上兩國亦屬生命共同體。但是福島事故後,台灣與日本相反、走向「非核家園」。究其原因為(1)国民對核能安全的疑慮高漲和(2)迎合大眾的民粹政治上、有兩國文化的差異性而引起。但今後(1)核廃料処置(2)核電廠除役及(3)民眾共識的建立等是兩國共通的問題、在此領域兩國應相互深入理解、並互相合作。本叢書的出版寄望有助於今後台日兩國在能源領域的合作。
311福島原発事故は、日台両国のエネルギー政策の抜本的な見直しを迫られた。事故後、日本政府は「原発を重要なベースロード電源」と位置付け、原発再稼働を進めた。台湾では、福島事故により、原子力反対の世論が高まり、2016年5月総統に就任した民進党の蔡英文氏は、2025年までには「ゼロ原発」の方針を決定した。
本書は福島事故前後、日台両国のエネルギー状況とエネルギー政策を巡る変遷経緯に関する論文および日台原子力交流の実績、更に今後両国の原子力協力のあり方について論述した文章を16編収めたものである。その主な論文は2014年、台北で開催された「第31回中日工程技術研討会」の「エネルギー政策人文産業組」で発表されたものと2015年、『エネルギーレビュー誌「日台の原子力安全協力」特集』に掲載されたものである。
日本と台湾は同じくエネルギー資源に乏しく、地政学的にも両国は一蓮托生の関係にある、しかしながら福島事故後、台湾は日本とは逆に「脱原発」に走る。その背景には(1)原子力発電に対する国民の不安の高まりと(2)ポピュリズム政治等に両国文化の差異性に起因する。但し、今後(1)放射性廃棄物処分(2)原発廃炉措置(3)国民のコンセンサスなどについては両国共通の問題であり、この分野において相互理解を深め、お互いに協力すべきである。本書が今後エネルギー分野の日台協力に役立てれば幸いである。
作者簡介:
謝牧謙(しゃ ぼくけん)
台北工専化工科畢(1957)、日本東北大學工學博士(1969)。現任臺灣大學、輔仁大學兼任教授、中華核能學會(CHNS)、核能資訊中心(NIC)、台灣核能級産業発展協會(TNA)及核能科技協進會(NuSTA)顧問。専長為核子化學工程、核燃料循澴、能源政策、環境保護。1971-2002年任職行政院核能研究所、擔任組長、主任,並歷任中正理工學院副教授、中原大學、清華大學、成功大學兼任教授等。2002年公職退休後擔任核能科技協進會執行長、中工會中日工程技術委員會副主委等,從事台日、兩岸核能交流工作。曾獲「國家莒光甲種二等獎章」、中華核學會「朱寶熙紀念獎」、日本機械學會「功績賞」等獎項。《台日核能交流回顧與展望(日文)》總編輯。
台北工専化工科卒(1957)、日本東北大学工学博士(1969)、現在、台湾大学、輔仁大学兼任教授、中華核能学会(CHNS)、核能資訊中心(NIC)、台湾核能級産業発展協会(TNA)及び核能科技協進会(NuSTA)顧問。専門は原子力化学工学、核燃料サイクル、エネルギー政策、環境保全。1971~2002年行政院核能研究所務め、組長、主任、中正理工学院助教授、中原大学、清華大学、成功大学兼任教授等を歴任。2002年退職後、核能科技協進会執行長、中日工程技術研討会副主任委員等擔當、日台、両岸(台湾と中国)の原子力交流に努める。国家莒光甲種二等獎章、中華核学会朱寶熙獎、日本機械学会功績賞等受賞。「日台原子力交流の回顧と展望」編集長。
石門環(せき もんかん)
核能資訊中心(NIC)、台灣核能級産業發展協會(TNA)及核能科技協進會(NuSTA)顧問,中華核能學會國際合作小組副召集人。國立海洋大學輪機系畢業、國立臺灣科技大學碩士、1993-1995年間留學大阪大學,1985年美國MPR公司、2004年日本獨立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)研習,専業為機械工程、核能發電。1975-1984年擔任台灣電力公司金山施工處、國聖施工處、核能品質處機械工程師,1984-2014年擔任核能研究所、行政院原子能委員會之駐核能電廠視察員等職務。翻譯或編輯多種日文核能資訊,除〈指向核能復興之羅盤〉、〈日本ABWR(進步型沸騰水式反應爐)之經驗回饋〈以外,亦擔任《台日核能交流之回顧與展望》共同編輯人。2014年7月退休後,目前擔任七個日文班教師。
核能資訊中心(NIC)、台湾核能級産業発展協会(TNA)及び核能科技協進会(NuSTA)顧問。国立海洋大学船舶機械学科卒、国立台湾科技大学修士、1993~1995年大阪大学留学、1985年米国MPR会社、2004年日本独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)研修。専門は機械工学、原子力。1975~1984年台湾電力金山原子力建設所、国聖原子力建設所、核能品質処、1984~2014年核能研究所、行政院原子能委員会原発駐在検査官などを歴任。日本原子力資料中国語翻訳、編集、「原子力復興への羅針盤」、「日本ABWR(改良型沸騰水型軽水炉)の経験フィードバック」等、「日台原子力交流の回顧と展望」共同編集。
作者序
序論 福島事故後台日エネルギー政策の変換と原子力協力
謝牧謙
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれに伴う大規模な津波は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を引き起こした。この事故を受け、一般国民が原子力エネルギーに不安を抱き、国際社会にも大きな影響を与えた。なかでも台湾が受けたインパクトは甚大である。この過酷事故により、日台両国のエネルギー政策は根本から揺らぎ、抜本的な見直しを迫られた。事故後、日本政府は、民主党が2012年9月14日に決定した「2030年代に原発ゼロを目指す」政策から紆余曲折を経て、2014年4月11日の閣議で、国の中長期的なエネルギー政策の方針となる「エネルギー基本計画」に転換し、「原発を重要なベースロード電源」と位置付け、原発再稼働を進める方針を明らかにした。具体的な政策目標は2015年7月に2030年のエネルギーミツクスの定量的数値が提示され、原子力の比率を20-22%、太陽光などの再生可能エネルギーの比率を、原子力をやや上回る22-24%とした。しかしながら台湾では、原子力反対の世論が高まりを見せ、その動きは大規模な反核デモとして展開された。福島事故前の2010年代に政府当局は、大幅な原油高や、地球温暖化対策をにらみ、原発増設と既存原発の寿命延長を計画していた、ところが福島事故によりエネルギー政策を大転換して、2011年11月に政府は新エネルギー政策を発表した。その内容は(一)核一、二、三の延命はしない、(二)核四は完成次第運転を行う、(三)新規原発建設なし、(四)再生可能エネルギー2030年に30%、(五)原子力比率は2020年15%に、2030年5%に、(六)本政策は4年ごとに検討する、というものてあった。その後、原発の是非を巡り与野党の対立、論争が続き、2014年3月、一層反原発デモが広がった。遂に馬総統は4月27日、建設中ほぼ完成の第四原子力発電所(「核四」又は「龍門プロジェクト」称する)一号機は密閉管理状態を実施、二号機の建設凍結を決めるとともに、第四原発の再開についは、今後実施する国民投票の結果に委ねることを明らかにした。しかしながら反対運動はその後も絶えず、2016年5月総統に就任した民進党の蔡英文氏は、「現行の原発は稼働期間が終われば廃炉にする」と明言、2025年までには「ゼロ原発」の方針も決定、脱原子力国家を確立し、脱原発社会実現を目指す方針を明確にした。
本書は福島事故前後、日台両国のエネルギー状況とエネルギー政策を巡る変遷経緯に関する論文および日台原子力交流の実績、更に今後両国の原子力協力のあり方について論述した文章を収めたものである。
本書の第一章から第四章は2014年12月2日台北で開催された「第31回中日工程技術研討会」に台湾大学日本研究センターが人文の視点からエネルギー政策を語るフォーラム「エネルギー政策人文産業組」で特別講演された論文を発表者が各自書き直したものである。日本研究センターで「人文(humanities)と科学(sciences)の対話」のフォーラム開催は初の試みである。
第五章から第十一章は2015年1月号『エネルギーレビュー誌「日台の原子力安全協力」特集』に執筆されました有馬朗人、梁啟源、石川迪夫、王浪琛、王伯輝、謝牧謙、秋元勇巳など諸氏の論文である。
第十二、十三章は謝牧謙が日本原子力学会誌2014年10月号の時論と2006年3月原子力システムニュースに掲載した論文。第十四章は葉秋蘭氏が『問題と研究』2012年1、2、3月号に掲載、第十五、十六章は『宮健三氏が保全学』2008年No.1とNo.2に掲載した論文である。
第一章は豊田正和氏の論文「原子力発電-持続的発展に不可欠なエネルギー」をテーマにエネルギーは経済発展や、生活水準の向上に不可欠な重要な経済要素であると述べ、2015年のパリ合意(COP21)も踏まえれば、気候変動対策にも十分配慮しないと経済発展の持続は困難となることが世界の共通認識となっている。そのため、原子力を含めたバランスのあるエネルギー構成の実現が、現実的な解決策となる。その理由について豊田氏は(1)原発事故で変わった日本のエネルギー政策の視点は「3E」から「3E+S」ヘ、(2)「3E+S」の視点から見ると完璧なエネルギーはない、(3)原子力ゼロで生じた不都合な真実、(4)原子力の「S」は大丈夫なのか、(5)望ましいエネルギー構造の判断には、「3E+S」に加え「M」が重要、(6)日本のエネルギー構成の新目標(新エネルギー、ミックス)と持続的経済発展、(7)その後の展開で構成され、終わりに持続的経済発展を実現するためにも、「3E+S」は重要であり、原子力は、不可欠な要素であると結論づける。
第二章は山地憲治氏の「日本のエネルギー政策と温暖化対策目標」は日本のエネルギーミックスについて、自給率向上、コスト削減、欧米に遜色ない削減目標の3つを目標としている。経済成長に伴いエネルギー効率は改善傾向にあり、エネルギー効率の向上によって、2030年の電力需要は2013年の水準にまで抑えることができるだろう。この政策に合わせて、日本では電気料金に再生可能エネルギー発電促進賦課金を加え、国民から再生エネルギー発展のための基金を集めている。再生エネルギーを長期安定的なエネルギー源とするため、エネルギーミックスや効率性の向上という観点から、再生可能エネルギー導入の仕組みを構築する。安全供給の確保や、電気料金の最大限の抑制、発電事業者の事業機会の拡大を目指し、電力システムの改革は3段階に分けて実行される予定である。一連の制度改革の成果を活かし、効率的な形での電力の取引・流通の実現を通して、再生可能エネルギーの導入拡大に結びつけていくことが重要である。エネルギー政策には「公益」と「市場」という2つの観点があり、山地氏はこの2つが協調することでより優れた政策が生まれると考えている。更にエネルギーミックスの実現には多大の困難が伴い、突破する鍵は技術および社会のイノべーションであり、日本国内での排出削減に取り組むだけでなく、長期的かつ国際的視点から世界展開する必要があると詳述する。
第三章は大川真氏の論著「問われる日本のエネルギー政策と民主主義-被災地の声から-」は東北被災地のフィールド調査に宮城県の最終処分場候補地に選ばれた加美町の事例を挙げ、被災者との会話で被災者の声を反映し、更に被災地エネルギー政策決定の民主主義現状について考察する。氏は高放射性廃棄物の処理には長期的な話し合いが必要で、処分場の設置場所については民意を考慮しなければならないと考えている。宗教と農村意識の影響で、日本人は水質や土地(が穢れていないか)へのこだわりが非常に強く、これもまた日本人が原子力に不安を感じる原因の一つと言う。いかにして国民の原子力への否定的な感情を、客観的な評価に変えていくのかが、エネルギー政策の策定に際して考慮検討していくべき方向である。
第四章は森田明彦氏の論文「福島事故の教訓-子どもにどんな地球を残しますか」をテーマに 福島第一原子力発電所事故によって明らかになった日本の課題である「安全神話からの脱卻」と「原子力発電リスクを巡る国民的合意形成の条件」の2点に的を絞って議論を進める。氏は「将来世代の権利」を肯定し、すべての人に同等の尊重と配慮を得る権利があるため、原子力発電のリスクを巡る「現在世代」の「将来世代への責任」をどのように考えるべきかという規範論的課題について検討する。更に現在エネルギー政策の策定には、「大衆迎合主義」と「テクノクラート」という2つの問題がある。むやみに民意に媚び諂っても問題を解決できないが、専門家だけでエネルギー政策を決めても、国民の原子力への不信や不安を拭い去ることはできない。両者間における「開かれた公共的対話」が必要不可欠なのであると論じる。
第五章は有馬朗人氏の論文「日台は共通の課題に直面-防災、安全を考える」をテーマに二つの事例:東日本大震災に際し(一)東北電力女川原子力発電所と(二)新幹線が事故を避けた理由について述べ、防災科学者、技術者がどうして災害を最小限にできるか方針を立てるべきであるという。氏は更に地球温暖化防止のため、将来のエネルギー、特に電力確保のためあらゆる手段を利用すべきである。再生可能エネルギーによる発電を大幅に伸ばすことと、充分な安全性を確認した上で原子力発電を利用すべきである。日台共通のエネルギー問題、再生エネルギーをどう開発するか、スマートグリッドの構築、原子力利用をどうするか等々について論じている。
第六章は梁啟源氏の論文「台湾における原子力発電の意義と現状」は台湾の原子力発電と核四(第四原子力発電)の現状について述べ、核四が運転しなかった場合淡水側より東側の台北首都圏には発電所がなくなり、中北電力幹線の送電能力を超え、大規模停電の危機か危ぶまれる。更に「原発ゼロの日本の経済社会に対する影響」と「ドイツが再生可能エネルギーを開発したことによる影響」を比較し、島国の台湾で再生エネルギーの開発によって一部の原発を代替することは、土地が狭く人口密度も高い台湾では設置が困難である。原発の廃止並び再生エネルギーのような不安定な供給基盤は重大な電力不足を招き、台湾産業にダメージを与えると警鐘を鳴らし、国民の賢い選択が必要であると述べる。
第七章は石川迪夫氏の「福島第一事故の教訓」は福島事故についての正しい実態を次の要点にまとめて述べる:(一)既設の安全設備が持つ、素晴らしい事故対応能力:1号機のIC(非常用復水器)と2、3号機のRCIC(原子炉隔離時冷却系)の作用で大幅な放射能放出量を下げた(チェルノブイリの7分の1。)(二)2、3号の炉心溶融、水素爆発は防ぎ得た:炉心溶融は崩壊熱で起きるものでなく、高温の燃料棒が注水により分断され(炉心崩壊)、その分断面に現れた高温のジルカロイと水の反応熱により起こる。(三)水ベントの除染効率: 水ベントを通過して出て行く放射能量が接続配管を通じて漏れ出た放射能に比べて少ない事。(四)3号機の溶融爆発が意味すること:3号機の炉心はウランとプルトニュムの混合酸化物(MOX)燃料が装荷され、溶融爆発が起ったが、放射能放出はベント時にSC(suppression chamber)水で除染され、2号機と比較にならぬほど少ないものである。
第八章は王琅琛氏の「福島事故を踏まえた台湾電力の断然処置」は原子力発電所の過酷事故時の炉心溶融を防止し、放射能を格納容器内に閉じ込め、大気中に一切漏らさない新たな対策として、断然処置を施すこととなる。断然処置はいざというとき原子炉を犠牲にしても放射能放出を抑え、人命を救う発想である。
第九章は王伯輝氏の「龍門プロジェクト:第四原子力発電所の今」をテーマに発電所の特徴、現状と今後の動向、福島事故の影響について述べ、更に政府からプロジェクト継続に待ったをかけられた心情と現場所員の士気を鼓舞している日々の活動を力強く語る。
第十章は謝牧謙が「台日原子力安全協力の実績と今後への期待」をテーマに、過去長年原子力分野における日台安全協力の実績、特定領域の交流活動、核四建設ヘ日本専門家の寄与などについて述べ、更に福島事故後、日本の原子力安全事情の理解促進、今後、特に廃棄物処分廃炉措置などについては日台共通の問題であり、双方お互いの理解と一層の協力を期待したいと述べる。
第十一章は秋元勇巳氏が「日台原子力協力に思う」をテーマに(一)日本の不幸、台湾の不幸:福島事故について、現場の対策が後手に回り、避難、除染、安全基準の設定など、さまざまな局面での失態も積み重なって事故の被害が膨れ上った。世界に深刻な風評被害をもたらし、台湾をはじめとする諸国の原子力政策にまで齟齬を生じさせた日本の責任は重い。(二)迎合が不安を増幅する放射線恐怖症:未来を担う若い世代に、放射線、原子力エネルギーに関する学校教育、社会教育の充実に力を注いでいきたい。長年築き上げた日台協力の絆を活用すべきである。(三)世界は原子力エネルギー社会に向かう(四)新しい風を送ろう:2014年安倍内閣は原子力を「エネルギー需要構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」と位置付け、日本の原子力界に、一條の光が差し始めた。今後日本の役割は原子力不信と否定のモヤを吹き払う新い風を、政争に揺れる台湾に豊かに送り込み、共に原子力復活への道を歩みたい。
第十二章は謝牧謙の論文「福島事故の衝撃を受け、台湾核四の運命は?」である、内容は、(一)核四建設と日本の関わり (二)原発論争、政争の具に(三)311事故のインパクト(四)現在直面する課題などについて述べる。核四は日本との繋がりが深く、主な設備はほとんど日本から輸入、建設後半に入って日本からABWR経験者の協力もあり、建設を完成したが、福島事故の衝撃を受け、国内の反原発運動が激化、政府はやむを得ず1号機の凍結を宣告した。
第十三章は謝牧謙の「台湾核四の運命-政治に揺れる原発事情」は(一)台湾のエネルギー事情(二)核四建設現状と非核論争(三)放射性廃棄物の処理、処分について記述し、更に長期的視野を必要とする原子力政策が政治に揺さぶられ、人民の福祉を損なうものであると結論づける。
第十四章は葉秋蘭氏の論文「東日本大震災による日本エネルギー安全保障政策への影響」をテーマに(一)戦後の日本のエネルギー安全保障政策の流れと変化(二)東日本大震災がエネルギー安全保障に与えた影響(三)福島の原発事故後の日本のエネルギー安全保障情勢が東北アジアの安全保障にもたらす意義について記述し日本が今直面している困難は福島事故により引き起こされた国民の政府に対する不信感であり、日本の政治は不安定な状況に置かれている。これを解決するためには、日本政府は原子力保有か反原発かの議論の対立を飛び越え、エネルギー安全保障問題を地域のエネルギー安全保障のレベルに高め、ひいては世界エネルギー安全保障にまで視野を広げるべきであると結論づける。
第十五章と第十六章は日本保全学会宮健三会長の論文「保全学の構築(一)構築の枠組みと方法論」と「保全学の構築、(二)保全方程式と最適保全計画の数値化」であり、原子力発電所の保全プログラムに基づく保全活動の重要な検査手法であり、特に福島事故後原子力安全の改善に寄与すべきことである。
日本と台湾は同じくエネルギー資源に乏しく、そのほとんどを輸入に依存している。地政学的にも両国は一蓮托生の関係にある。従ってエネルギー政策の基本方針としては安定供給と地球温暖化問題の対応(二酸化炭素削減)が主要であり、福島事故以前の2010年において、日台ともエネルギー多元化政策を取り、原子力は重要な基幹エネルギーとみなされる。しかしながら福島事故後、両国のエネルギー政策は相反する方向へ向かった、日本は多くの議論の末「原子力を重要な基幹エネルギー」と見なし、台湾は「非核家園ゼロ原発」に走る。その背景には(一)原子力発電に対する国民の不安の高まりと(二)ポピュリズム政治に両国文化の差異性に起因する。然しながら今後(1)放射性廃棄物処分(2)原発廃炉措置(3)国民のコンセンサスなどについては両国共通の問題であり、この分野において相互理解を深め、お互いに協力すべきである。本書が今後エネルギー分野の日台協力に役立てれば幸いである。
序論 福島事故後台日エネルギー政策の変換と原子力協力
謝牧謙
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)とそれに伴う大規模な津波は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を引き起こした。この事故を受け、一般国民が原子力エネルギーに不安を抱き、国際社会にも大きな影響を与えた。なかでも台湾が受けたインパクトは甚大である。この過酷事故により、日台両国のエネルギー政策は根本から揺らぎ、抜本的な見直しを迫られた。事故後、日本政府は、民主党が2012年9月14日に決定した「2030年代に原発ゼロを目指す」政策から紆余曲折...
目錄
序論 福島事故後台日エネルギー政策の変換と原子力安全協力╱謝牧謙
第一章 原子力発電:経済の持続的発展に不可欠なエネルギー╱豊田正和
第二章 日本のエネルギー政策と温暖化対策目標╱山地憲治
第三章 問われる日本のエネルギー政策と民主主義╱大川真
第四章 福島原発事故の教訓―安全神話から脱却と公共的対話の必要性―╱森田明彦
第五章 防災、安全を考える―日台は共通の課題に直面―╱有馬朗人
第六章 台湾における原子力発電の意義と現状╱梁啓源
第七章 福島第一事故の教訓╱石川迪夫
第八章 福島事故を踏まえた台湾電力の断然処置╱王琅琛
第九章 龍門プロジェクト:第四原子力発電所の今╱王伯輝
第十章 台日原子力安全協力の実績と今後への期待╱謝牧謙
第十一章 日台原子力協力に思う今後の日本の役割╱秋元勇巳
第十二章 福島事故の衝撃を受け、台湾「核四」の運命は?╱謝牧謙
第十三章 台湾「核四」の運命―政治に搖れる原発事情―╱謝牧謙
第十四章 東日本大震災による日本のエネルギー安全保障政策への影響╱葉秋蘭
第十五章 保全学の構築(一)―構築の枠組みと方法論―╱宮健三
第十六章 保全学の構築(二)―保全方程式と最適保全計画の数値化―╱出町和之、宮健三
人名索引
事項索引
編集者略歴
執筆者略歴
序論 福島事故後台日エネルギー政策の変換と原子力安全協力╱謝牧謙
第一章 原子力発電:経済の持続的発展に不可欠なエネルギー╱豊田正和
第二章 日本のエネルギー政策と温暖化対策目標╱山地憲治
第三章 問われる日本のエネルギー政策と民主主義╱大川真
第四章 福島原発事故の教訓―安全神話から脱却と公共的対話の必要性―╱森田明彦
第五章 防災、安全を考える―日台は共通の課題に直面―╱有馬朗人
第六章 台湾における原子力発電の意義と現状╱梁啓源
第七章 福島第一事故の教訓╱石川迪夫
第八章 福島事故を踏まえた台湾電力の断然処置╱王琅...