本書旨在探討南北朝時期的室町幕府的諸問題。首先著眼於幕府的具體政策,解明初代將軍足利尊氏與其弟直義的體制、直義所發之下文、仁政方的權限、奉行人依田時朝的事蹟等。第二,嘗試重新探討南北朝的歷史觀。考察中國思想帶給『太平記』歷史觀的影響,以及其歷史觀在近世、近代南北朝認識上的作用。舉例,本書將會點出,雖說有近世以後尊氏以及幕府執事高師直一直被定位成惡人的通論,然而給予他們高度評價的史觀依然根深蒂固等事情。
本書は、南北朝期の室町幕府をめぐる諸問題を検討する。第一に、幕府の具体的な政策に注目し、初代将軍足利尊氏と弟直義の体制、直義が発給した下文、仁政方の権限、奉行人依田時朝の事蹟などを解明する。第二に、南北朝期の歴史観について再検討を試みる。中国の思想が『太平記』の歴史観に与えた影響、およびその歴史観が近世・近代の南北朝認識に及ぼした作用を考察する。たとえば、近世以降尊氏や幕府執事高師直が悪人とされたとするのが通説であるが、彼らを高く評価する史観も依然として根強かったことなどを指摘する。
作者簡介:
亀田俊和(かめだ としたか)
出生於日本秋田縣鹿角郡。畢業於京都大學文學部。京都大學文學研究科碩士課程。京都大學文學研究科博士後期課程。博士(文學)。現任職於國立台灣大學日本語文學系助理教授。專攻日本中世史。主要著作為『室町幕府管領施行システムの研究』(思文閣、2013年2月)、『南朝の真実―忠臣という幻想―』(吉川弘文館、2014年5月)、『観応の擾乱―室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義の戦い―』(中央公論新社、2017年7月)。
日本国秋田県鹿角郡生まれ。京都大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程修了。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、国立台湾大学日本語文学系助理教授。専門は日本中世史。主著に『室町幕府管領施行システムの研究』(思文閣、2013年2月)、『南朝の真実―忠臣という幻想―』(吉川弘文館、2014年5月)、『観応の擾乱―室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義の戦い―』(中央公論新社、2017年7月)などがある。
章節試閱
序章(抜粋)
はじめに
本書の課題は、大別して2つある。
第一に、中国の学問・宗教・文化が大量に流入し、その影響を強く受けていた南北朝時代の日本において、室町幕府を基軸に据えて、特に政治面で具体的にどのような政策が遂行されていたのかを解明することである。本書第一章・第二章・第三章・第四章でこの問題を考察する。
第二に、歴史観の問題である。中国の政治思想や中国史の知識が南北朝時代を描いた著名な軍記物語である『太平記』の歴史観にいかなる影響を与え、さらにその『太平記』の歴史観が近世・近代の南北朝時代認識にいかに作用したのかについて、通説的理解とは異なる視点から検討を加える。本書第五章・第六章・第七章・第八章でこの問題を扱う。
以上の課題をより明確に意義づけるために、序論でまず鎌倉後期から南北朝期にかけて日本が中国から受容した学問・宗教・文化に関する研究史を概観する。次いで本書の研究課題と構成を提示する。最後に、台湾における南北朝期日本の研究がいかなる意義を有するかについて、若干の見通しを述べたい。
一、鎌倉後期~南北朝期日本における中国思想の受容
南北朝時代の日本は中国とは正式な国交は結ばなかったが民間レベルでの交流は活発で、冒頭で述べたように中国の学問・宗教・文化が大量に流入していた。
まず学問について。鎌倉後期の朝廷において宋学が熱心に学ばれていたことは、古くから指摘されていた。宋学の名分論が後醍醐天皇(1288-1339)の鎌倉幕府倒幕の思想的根拠となり、また宋学に基づいて後醍醐が宋の君主独裁体制を目指していたとする見解がある。
現在はこの見解に対する批判もあるが、少なくとも当該期の政治に中国の思想が大きな影響を与えたことは確かである。例えば佐藤進一は、建武政権が諸国に国司と守護を併置した政策と、宋が諸州に知州事・通判の2長官を設置した体制との類似を指摘する。建武政権の年号「建武」も、後漢の年号を踏襲したものであった。建武2年(1335)には、中国の制度に倣って僧侶の衣服を黒衣から黄衣に変えようとしたという。
さらに近年の研究は、室町幕府も建武政権の理念や政策を可能な限り忠実に模倣しようとしたことが指摘されている。その具体的な施策は多岐にわたるが、年号「建武」をしばらく継承し、幕府の基本法典も『建武式目』と名づけたことにそれは顕著に表れている。
また草創期の室町幕府を主導した足利直義(1307-1352)は、藤原有範(1302-1363)を重用した。有範は北朝の公家でありながら幕府禅律方(後述)の頭人に任命されるという異例の経歴を持つ人物である。この有範が藤原南家出身の儒学者であったことは、本書の趣旨からも看過できない。彼は観応の擾乱(1350-1352年)に際しても直義に味方し、直義の動向に大きな影響を及ぼしたとされるが、この点も注目できよう。
すなわち、建武政権と同様、室町幕府もまた中国の政治思想の影響を受け、その実現を目指していたとも言えるのである。
宗教については、やはり臨済宗が積極的に受容されたことを特筆せねばならない。すでに鎌倉時代から北条得宗家などが臨済宗を積極的に導入していたが、南北朝期に至って室町幕府もその政策を発展的に継承した。
直義は、建武の戦乱による戦没者の冥福を祈るために全国に安国寺・利生塔を設置したが、安国寺に指定された寺院は臨済宗寺院が多く、また制度自体も唐や宋の制度の影響が指摘されな限り忠実に模倣しようとしたことが指摘されている。その具体的な施策は多岐にわたるが、年号「建武」をしばらく継承し、幕府の基本法典も『建武式目』と名づけたことにそれは顕著に表れている。
また草創期の室町幕府を主導した足利直義(1307-1352)は、藤原有範(1302-1363)を重用した。有範は北朝の公家でありながら幕府禅律方(後述)の頭人に任命されるという異例の経歴を持つ人物である。この有範が藤原南家出身の儒学者であったことは、本書の趣旨からも看過できない。彼は観応の擾乱(1350-1352年)に際しても直義に味方し、直義の動向に大きな影響を及ぼしたとされるが、この点も注目できよう。
すなわち、建武政権と同様、室町幕府もまた中国の政治思想の影響を受け、その実現を目指していたとも言えるのである。
宗教については、やはり臨済宗が積極的に受容されたことを特筆せねばならない。すでに鎌倉時代から北条得宗家などが臨済宗を積極的に導入していたが、南北朝期に至って室町幕府もその政策を発展的に継承した。
直義は、建武の戦乱による戦没者の冥福を祈るために全国に安国寺・利生塔を設置したが、安国寺に指定された寺院は臨済宗寺院が多く、また制度自体も唐や宋の制度の影響が指摘され導入したものである。
さらに直義は、鎌倉幕府・建武政権に倣って五山・十刹を定めた。これも南宋から導入した制度である。その後、3代将軍足利義満(1358-1408)が相国寺を建立し、五山・十刹の制を完成させた。中国の五山は明確な制度として整備されず、むしろ日本において発展したと評価されている。当該期には五山文学が栄え、禅僧たちは禅の思想だけではなく、幕府の外交文書の作成や宋学などの学問の伝播にも多大な貢献を果たした。
文化については、唐物が多数輸入され、闘茶などが流行し、室町文化興隆の基盤となったことがよく知られている。臨済宗も、庭園等の日本文化の確立に影響を与えた。また禅僧が日明貿易に大いに貢献するなど、経済面においても中国は日本に多大な影響を与えた。
二、本書の構成
第一章は、戦後の南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義について、特に所務沙汰と将軍権力二元論に焦点を絞って論じたものである。従来の研究成果とその意義を確認し、問題点も指摘して、将来的な研究展望を提示する。
第二章では、足利直義が発給した下文について検討する。草創期の室町幕府においては、直義が所領安堵の権限を行使し、武士に対して所領の領有を承認する下文を発給した。この直義下文の様式・内容・発給日等およびその変化を解明し、当該期の直義権力の性格を考察する。
第三章は、仁政方を執事奉書の発給機関であるとする私見を批判した山本康司論文に反論したものである。その議論を通じて、仁政方に関する実証的な知見を深化させるだけでなく、効率化・迅速化をめざした中世の訴訟制度の一大変化について、より明瞭に理解できるであろう。
第四章は、南北朝期の室町幕府において奉行人を務めた依田時朝(生没年不詳)の事績を検討し、賄賂を拒否した彼の態度が足利直義の薫陶を受けていた可能性を論じる。
第五章は、『太平記』に引用されている中国史の故事について検討する。引用故事を網羅的に検出し、その出現頻度や引用の意図等を検討し、『太平記』作者の意図を考察する。
第六章は、江戸時代の小説『英草紙』を検討し、高師直悪玉史観が圧倒的に優勢であった時代においても、師直を慈愛にあふれた政治家として肯定的に描く小説が存在した事実を指摘し、そうした小説が出現した理由について考察する。
第七章では、彦部家が近代に行った家史編纂事業を検討する。この作業を通じて、近代の同家が祖先の歴史に抱いていた歴史観についても考察を加える。
第八章は、足利尊氏(1305-1358。室町幕府初代将軍)逆賊史観について再検討する。近世以降の南朝正統史観の影響で尊氏が逆賊とされ、戦前の公教育の場において熱心に教えられたのも、よく知られた史実である。しかし、その通説的な理解を再検討し、戦前においても尊氏を偉大な武将と見なす風潮が意外に根強く残存していたことを解明する。
補論では、南北朝期室町幕府における軍忠(合戦で武士が挙げた手柄)の評価基準について具体的に検討する。この検討を通じて、当該期の武士の「忠義」に対する価値観の一端も垣間見えるであろう。
結論では、以上の各章の内容を要約し、冒頭に設定した「中国の思想が日本の政治や歴史観に具体的にいかなる影響を与えたのか」という課題について、あらためて論じる。
(未完)
序章(抜粋)
はじめに
本書の課題は、大別して2つある。
第一に、中国の学問・宗教・文化が大量に流入し、その影響を強く受けていた南北朝時代の日本において、室町幕府を基軸に据えて、特に政治面で具体的にどのような政策が遂行されていたのかを解明することである。本書第一章・第二章・第三章・第四章でこの問題を考察する。
第二に、歴史観の問題である。中国の政治思想や中国史の知識が南北朝時代を描いた著名な軍記物語である『太平記』の歴史観にいかなる影響を与え、さらにその『太平記』の歴史観が近世・近代の南北朝時代認識にいかに...
目錄
序章
はじめに
一、鎌倉後期~南北朝期日本における中国思想の受容
二、本書の構成
おわりに
第一章 南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義―所務沙汰制度史と将軍権力二元論を中心に―
はじめに
一、佐藤進一の南北朝期室町幕府訴訟制度研究
二、佐藤進一以降の南北朝期室町幕府訴訟制度史研究
三、南北朝期室町幕府訴訟制度史研究の問題点
四、南北朝期室町幕府訴訟制度史研究の展望
おわりに
第二章 足利直義下文の基礎的研究
はじめに
一、室町幕府発足以前の足利直義下文
二、三条殿執政期の足利直義下文―暦応4年(1341)9月以前―
三、三条殿執政期の足利直義下文―暦応4年(1341)10月以降―
四、観応の擾乱以降の足利直義下文
おわりに
第三章 仁政方再論―山本康司の批判に接して―
はじめに
一、施行状は下文を再調査しないのか?
二、恩賞方は施行状の発給機関であるのか?
三、恩賞方は理非糺明を行わないのか?
四、そもそも理非糺明とは何か?
五、仁政沙汰は将軍自らが理非糺明を行うのか?
六、西寺別当職相論の再検討
七、改めて、仁政方の再考察
おわりに
第四章 清廉潔白な奉行人―室町幕府奉行人依田時朝に関する一考察―
一、吉祥院修造段銭免除訴訟
二、初代将軍足利尊氏期における依田時朝
三、2代将軍足利義詮期前半における依田時朝
四、斯波高経失脚以降の依田時朝
五、足利直義の薫陶
第五章 『太平記』に見る中国故事の引用
はじめに
一、中国故事引用の頻度・分布
二、大規模引用の意図
三、観応の擾乱期における大規模引用の検討
四、『太平記』の編纂過程と中国故事引用
おわりに
第六章 近世における高師直悪玉史観の再検討―『英草紙』を通じて―
一、『英草紙』のなかの師直
二、悪人像と矛盾する逸話
三、観応の擾乱の“A級戦犯”探し
第七章 近代彦部家の家史編纂事業
はじめに
一、彦部家諸系図の系統関係
二、彦部家家史に見る「史実」の変容過程
おわりに
第八章 近代における足利尊氏逆賊史観の再検討
はじめに
一、近代彦部家の足利将軍忠誠史観
二、中島商相筆禍事件の再検討
三、平泉澄の慨嘆
四、篠村八幡宮の矢塚
五、大川周明の尊氏称賛論
六、中村直勝の尊氏論
おわりに
補論 軍忠の基準
はじめに
一、上様が九州に行かれ京都をお留守にしていたとき、お前はどこにいたのか?
二、足利氏の「御内」
おわりに
結論
初出一覧
参考文献
人物索引
歴史上の人物
研究者
事項索引
序章
はじめに
一、鎌倉後期~南北朝期日本における中国思想の受容
二、本書の構成
おわりに
第一章 南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義―所務沙汰制度史と将軍権力二元論を中心に―
はじめに
一、佐藤進一の南北朝期室町幕府訴訟制度研究
二、佐藤進一以降の南北朝期室町幕府訴訟制度史研究
三、南北朝期室町幕府訴訟制度史研究の問題点
四、南北朝期室町幕府訴訟制度史研究の展望
おわりに
第二章 足利直義下文の基礎的研究
はじめに
一、室町幕府発足以前の足利直義下文
二、三条殿執政期の足利直義下文―暦応4年(1341)...